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sketch668

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10月24日
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「表面と装飾」について考えています。きっと、答えは一生模索するしかないような気がしていますが・・・。

(絵は「表面」を操作する行為であることは間違いありませんから。)

「装飾=表面」という言葉が軽んじられる背景には、“飾る”という行為には、「内実を隠して“偽る”」という推察が背後にあると考えられます。

たしかに誰かに気に入られようとして“媚びた”装飾には、なにか嫌な感じが漂い(その発想の安直さが透けて見え)ます。

それゆえか、20世紀以降の芸術では、表面的な操作を止め、他の表現を模索する流れが生まれているのではないか、と感じます。

しかし、内面の“真実”だけを信じ、「表面」を嫌悪し徹底的に装飾を否定した藝術作品で、心に響く作品に出合ったことが、私にはありません。

 

ただ「表面」を嫌悪する姿勢からでは、見えてこない地平があるのではないか、と私は直観的に感じています。

それは、良かれ悪しかれ、人は表面を知覚しながら他者とコミュニケーションするしかない、と思うからです。

毛嫌いするのではなく、表面の表現を洗練し、内容を伴うものにする努力を怠らないことが重要なのではないか、という気がしています。

 

最初のうち、モーツァルトの音楽や源氏物語がつまらなく感じたのも、もしかしたら、「内容」の空虚さだけに注目したからではないか、と。

この2つの創造物は、その表面の質の高さにこそ、数百年後までもその影響力を及ぼし続ける秘密があるのではないか、と。